大阪市職業リハビリテーションセンター

  • 職リハ通信

オフィス実務科 修了生 H・Kのつぶやき

職リハに入る前の私について

 入校する前は、現場仕事で働いた事しかありませんでした。身体を動かす事が好きだった僕は、足場屋さん(鳶)がすごく良いと思い、働き始めました。僕は、朝が早くても遊ぶ事も好きだったので仕事終わりにも、遊びに行き、次の日が仕事で、朝が早くても楽しいからと毎日遅くまで遊び、睡眠時間は2~3時間でした。寝坊が当たり前で、その事を怒られてもやめる事はせずに繰り返してきました。

 仕事を甘く見ていた、優しい社長に甘えている、そんな生活をしていた僕を呆れた神様が罰を与え、背中を押しました。

 雨が降った次の日の仕事で、この日も寝不足で寝坊してきたそうです。(記憶がありません)

 山の中にあるトロッコ列車の鉄橋の塗装工事の為、足場を組むのに必要な材料を運んでいるその時、肩から材料が落ち、見届ける事ができなかった僕は、拾おうとし、そのまま谷底へ落ちて行きました。15メートル位かな、18メートル位あったかなと言われています。(記憶がない為、聞いた話です)

 半年間、植物人間の状態から目を覚まし、左半身麻痺と言う後遺症と高次脳機能障がいが残り、初めは何が何なのか分かりませんでしたが、月日が経ち、少しずつ自分の状況を理解し始めました。

 主治医の先生からは、もう歩けない。車椅子が必要な車椅子生活と言われました。が、車椅子は嫌、絶対に歩くと前向きにリハビリに取り組み始めました。

 若さあっての回復力を見せた僕は、怖がる事がなくリハビリに取り組み、すごいスピードで回復していきました。

 目が覚めてから5~6か月後に病院を退院し、大阪市更生療育センターへ入所し、更なるレベルアップを目指して日々リハビリに励みました。

 杖をついて歩ける様になった僕は、警察のお世話にもなり、また家族に心配を掛けてしまったので、早く働いて家族に安心して欲しい。と僕に出来る作業を探そうと思いました。

事故前の休憩中に1200枠と言う足場組み立ての柱となる大きな重たい枠を2本繋げての力試し✌

上げるのには、力もバランスも必要になり、簡単には、上げられないよ。

職リハに入校しようと考えた理由

 自分で歩ける様になり、警察のお世話にもなった事もあり、働きたいと言う思いが強くなりました。当時の社長に頼み、自分は鳶に戻りたいと思っていたので、鳶の仕事で、その時の僕に出来る材料運びを経験する機会を設けてもらいました。

 家族には、鳶に戻る事は反対で、違う仕事をして欲しい。と言われていました。が、自分で経験をした事で危ない、違う事故が起きる予感がしたのと、同時期に入所していた大阪市更生療育センターに家族が反対の旨を話した事での提案で大阪市職業リハビリテーションセンターを紹介してもらいました。

 見学会に参加し、自分の耳で話を聞いて、目で確かめた事で『入校したい。パソコンを覚えたい。』と強く思い、すぐに管轄のハローワークに、願書を貰いに行きました。大阪市更生療育センターに戻り、した記憶のない勉強を前向きに取り組み始めました。受験当日は勉強してきた事をすべて出し切り、やり切りました。

 家に合格通知が届き、テンションがブチ上がりました。が、その反面に凄く大きな不安がこみ上げてきました。合格できたものの人と関わる事に色々な不安があり、イライラが溜まり爆発したらどうしよ。話が合わなかったら、どんな感じの人が来るのかなとか、座ってるより身体を動かす事が好きな僕に座っての事務仕事全般をできるかなと言う不安がありました。

 でも、頑張って掴んだチャンスを簡単に手放すわけにはいかない。違う人生を歩む。生き方をするんだと決めたので良い機会だと前向きに受け入れ、通い就職すると決めました。

訓練を通して気付いた・変わった事

  職リハに通い始めてからは、自分の価値観、考えのズレに気が付き、180度変われる事が出来ました。通う前に感じていた不安もすぐに無くなりました。

 これまでは、自分に対して何もしてくれない人、早く産まれただけの人に敬語で話すなんて無理、自分が年下の人に敬語で話すなんて考えられないと考えていて、敬語で話す事は全くしてきませんでしたが、訓練を通して社会人としての人としての当たり前、ズレた価値観を変える事が出来ました。

 今は敬語で話す事が当たり前に❕

 それも同期のみんなと共に過ごせたからです。ありがとうございました。

 座っての事務職全般が楽しくて好きになり、パソコン資格表計算 Excel 2級の取得まで出来ました。年齢はバラバラですが、同期の皆さんにExcelの指導、指摘することを頼み、それをしてくれた仲間がいたから資格が取れました。本当にありがとうございました。

 職リハを紹介して下さった大阪市更生療育センターの職員。僕を成長させて下さった職リハの職員の皆さん。ありがとうございました。

こんな一面も (人前でふざけてみたり)

出来ない組で、予習中

人活講座中の風景です。

山田さんとの1枚

就職が決まった時の気持ち

 僕は、1年間の期間中に就職先を見つける事が出来ませんでした。就職までもう1歩の所まで行った会社がありましたが、残念な結果になり、悔しい思いをしました。

 就職を諦めようかと思いましたが、指導員の山田さんが就職させると言って下さったのと、家族が背中を押してくれたので、再訓練を希望し、毎朝8時30分には職リハに来て再訓練を受けながら就職活動をしていました。初出勤の日が、決まるまでも通い続けました。

 職リハの先輩が長年働いている会社から、指導員の間山さんに事務補助業務で障がい者雇用をしたいと相談があったそうで、『実習に行ってみないか』と提案がありました。その実習で、働きたいと強く思い、面接を希望しました。面接の日が決まるまでは職リハに通い続けました。

 面接の日が決まり面接に行きました。凄く緊張していましたが、前日に指導員が面接練習の場を設けてくれたので、落ち着いて話せ、採用を掴み取りました。

 やっとみんなと一緒のラインに立てた。社会人としてのスタートが出来る。やっと追いつけたーと嬉しさもありますが、1年と少しを過ごした職リハを離れるのかと寂しい気持ちにもなりました。

 就職先を最後まで一緒に探してくださった山田さん。色々とありがとうございました

最後まで寄り添って下さった山田さん

今後の目標・夢

 長く働き続ける為に、報・連・相を職リハの指導員にして、みんなの集まりの日には、顔を出し、何でも話せ、近況報告ができる関係を続け、無理せず長く働き続けて行くのが夢であり大きな目標です。

 第2の人生の新たなスタートラインに立てたので、遅れてはいますが遅れを取り戻せる様に確実に業務をこなしていきます。

お世話になった指導員です。

同期へのメッセージ

 ありがとうございました。上も横も何も知らなかった僕が、ここまで大きく変われ成長できたのはみんなに出会え、共に1年過ごせ、一緒に学び、協力し合い1つの事をやり終える達成感、自然と生まれる笑顔、楽しさ、切磋琢磨し合える関係で居て下さったからです。感謝申し上げます。

 皆に感謝していますが、チームおさっちのメンバーはExcelの指導をしてくれたので、

特に感謝しています。syeisyei

 

チームおさっち 

(チームのみんなが、僕がExcel 2級を取れない、不合格だと思っていた所を合格してやったよ。)

最高の仲間達との一枚 (全員ではないが)

後輩へメッセージ

  このページを見たって事は、職リハが気になっているか入校を考えているからですよね。今すぐに管轄のハローワークに向かいましょう。他と迷っている方は迷わずに職リハにきましょう。

 職リハに入校出来た人達も不安な事があり、この記事を読んでくれたんですよね。ありがとうございます。職リハは楽しむ場の学校ではないですが、同期の人達と協力して1つの事をする楽しさ達成感を味わえば自然と笑顔になれ、チームワークが取れる様になる、いい場所となります。頑張ろう!

 迷い、悩んでいる人達は、騙されたと思ってでもいいので職リハへ来よう。人生が変わりますよ。

 

オフィス実務科修了生  H・K

再訓練の最終日 後輩の訓練生たちの前で入校前から現在までの「じぶんがたり」をしました。